今はもう見ることが出来ない、建て増しの巨大迷宮。某宗教の施設に変わっている。 玄関では行基上人が客を出迎えた。 本館の案内図。フロントは9Fにある。エレベーターが止まらない階もある。 末期には火災で大変な被害を被っていた。 パンフレットによれば、目玉は水車風呂。巨大ホテルなだけあって、色んな施設が目白押し。 高級なふとんも用意。 日本人の好きな南国風。 朝食専用の部屋まであった。 サービスエリアの土産屋より大きい。 本館・新館が立体迷路となって重なり合い、コズミックキューブ的たたずまいを見せた。 それぞれの宴会場には名前がつけられて、さながらテーマパークだった。 とある宴会場には某国が領有権を主張しかねない。 野良人が布団を寄せ集めてベッドを作り、広いフロアで寝泊まりしていた。 大勢の客を案内したフロント。これだけでかいホテルでは従業員も迷子になっただろう。 AはありきたりのDQN落書きでつまらないが、Bは斬新だ。意味がわからない。 宴会場にはレコードが残っていた。シブイ選曲のオンパレード。 その宴会場のステージも巨大。しかも巨木が常設。惜しまない経営哲学。 厨房に縛られていた彼女は、結局どこへ去っていったのだろうか。 中庭はさながらお化け屋敷だ。 館内のスナック・幸。 けっこうな値段を取る。営業時間はたった5時間。 他にもスナックはあった。こちらはスナック・シーサイド。 ゲームコーナーには著作権的に危険な動物が。 ギャラクシアンが現役のままだったらしい。 「アロハカフェ」にはピンボール。それ以上に目立つ壁画。 社員食堂には掟があった。全盛時にはどれだけの従業員がいたのだろうか。 昭和14年には既にこのホテルは存在した。 どこかの社長が時代劇ごっこに興じた。 創業当時の従業員写真。中規模だった時、既にこれだけの人が働いていた。 このホテルを愛した男、故・花柳章太郎氏。新派の役者。風流人。 その肩書きは多岐に渡る。 名物の水車風呂には、専用のエレベーターまであった。 夜の12時まで。宴会に最後までいると入り損ねる。 これがその水車。巨大な浴場に二階建ての建物が建設され、大きな水車が回っていた。 建物の二階は、人が住もうと思えば住める作りになっている。 湿気の多い風呂場で障子を貼るのは大変だったに違いない。 土蔵や櫓も風呂の中に。 洞窟風呂もある。 ナトリウム・カルシウム温泉。 このようなイベントも当時はあったらしい。 他にも露天風呂があった。 雨水が貯まってカビのワンダーランド。 改装工事が始まる前は金看板もかかっていたが 工事開始後には早々に外された。 このホテルはある日、2回目の不渡りを出してしまった。 銀行取引中止。それでも営業を続ける。 現金でなんとか取引を継続。 一方、裏ではトップが入れ替わる。 JTBにも報告。 納入業者にも現金取引で対応。 周りに与えた影響も甚大。 4億5000万の定期預金を解約したら銀行が取引停止措置。
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